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大宮ってどんな街?【鉄道のまち編】

お役立ちコラム

皆さんは「大宮」にどのような印象をお持ちですか?
「駅ビルや商店がたくさんある」
「埼玉県屈指のターミナル駅」
「氷川神社があり緑が多い」など、大宮にはいろいろな顔があります。

今回は「鉄道のまち」として発展した大宮をご紹介いたします!



大宮が「鉄道のまち」となった経緯
①大宮駅の開業
鉄道開通当時、大宮は人口が少なく駅の設置は見送られていました。
その後、東北本線と高崎線が分岐する駅が必要となり地元有志の尽力により大宮駅が開業しました。
実はこの時、栃木県足利の実業家たちによる「熊谷での分岐」案があったのですが、
建設コストや営業利益などの面から大宮が勝ち取り、ここに「鉄道のまち」としての歴史が
スタートすることとなりました。

②鉄道工場の誘致
大宮駅開業後も鉄道は運転距離が延び、運転本数も増加していったため
鉄道車両の製造・修繕をになう大工場として日本鉄道(後の国鉄)の「大宮工場」が操業を開始し、
「鉄道のまち」の礎を築きました。
労働者の増加によってまちは大いに賑わい、好況にわくこととなりました。

③交通の要衝として発展
鉄道の延伸や輸送量増加に伴い、大宮は交通・物流の要衝として発展しました。
製品輸出のための横浜港へアクセスが良いという地理的優位性もあり、製糸場が続々と大宮へ移転、開所。
同じく製茶業も盛んになり「製糸・製茶のまち」として大いに栄え、急激な人口増加へとつながりました。

④自立した経済都市へ
製糸・製茶といった農工業で地場産業を築いた大宮ですが、高度経済成長期には交通アクセスのよさから
東京近郊の衛星都市としても順調に発展し、宅地化が急ピッチで進められ都市化が形成されていきました。
しかし発展を促した利便性は、大宮市民の消費が東京に流れるという問題も生み出しました。
その対抗策として地元財界は、宮駅をステーションビルとして整備し、
一大ショッピングセンターにするという構想をたて、民間が建設資金を分担して駅舎を増改築する方法を
国鉄へ提案し実現させました。

⑤新幹線の再開発
1982年の東北新幹線開業を機に「首都圏の北の玄関口」としての地位を確立しました。
新幹線が東京駅まで延伸した後も、通勤のため埼京線や埼玉新都市交通など鉄道が開業し、
大宮の都市化は進展。大宮駅前にもオフィスビルが増加しました。

⑥現代へのつながり
かつて大宮を支えた製糸場は都市化で姿を消し、工業都市から商業都市へと転換していきました。
広大な工場を構えていた片倉製糸の工場跡地は、大宮カタクラパークというショッピングセンターへの
転換を経て、2004年の再開発で大型複合商業施設の大宮コクーンシティへと生まれ変わりました。
大宮が製糸業で発展した歴史が、英語で繭を意味する「コクーン(COCOON)」に残っています。
また、「鉄道博物館」の開館やイベントの開催など、鉄道文化を広め発展し続けています。


いかがでしたでしょうか。
「住みやすい街ランキング」(SUUMO住みたい街ランキング2025首都圏版)では
2年連続2位となり、4年連続トップ3入りを果たしている大宮。

その人気の理由を挙げると
・都心へのアクセスの良さ
・新幹線の利便性
・駅周辺の商業施設や飲食店がそろう利便性
・氷川参道や鉄道博物館などの文化施設の充実
が多く見受けられました。

大宮の歴史を紐解けば、選ばれる確かな地域力を感じましたね。
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最後までお読みいただきありがとうございます。

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